[私の知り合いであり、尊敬する人物でもある方からのメッセージです]
現在の視覚障がい児(者)で、先天性の人よりも後天性の人の方が多いとされています。そんな失明した一人の老人が私です。 青春時代には、バイクに乗り、高等学校の友や職場の友と共に登山を行い、楽しい人生を送りながらも、未来の失明を知りつつの生活を送っていました。誰もが人生の先は知り得ないのです。でも、知らぬが仏での生活を送っているのです。物を見ることが困難となり、見えなくなり、光も確認できなくなったとき、様々な点で困窮するのが普通です。だが、私は普通ではなかったのです。物を見ることが困難となり、見えなくなり、光も確認できなくなることを医師から伝えられて、私は知っていたのです。私が高校生であったとき、眼科医から網膜色素変性症であって、いずれ光をも失う可能性のある病気だと告げられました。それでも楽しい青春時代を送り、社会人としても過ごし、失明し、定年退職まで仕事を続けることができました。見えていた時、見えにくくなった時、見えなくなり光だけが頼りであった時、光を失った後、それぞれを経験した私が、過去・現在に感じる一言を記して参ります。
多くの人々とは異なる人生を送り、奇妙な体験をしているのだろうと想像しているのです。不自由であっても、バイクに乗るほどの視力を有していながら、徐々に失い、現在では光を失ったのです。この間に、どんな体験や思いをしていたのか・・・? バイクに乗っていた頃は、自転車も車も我が手にて操作しての運転をしていたのです。それが、失明するまでの人生、他の人が感じない物事を私は感じていたのではないだろうか・・・? 一言として記す内容は、体験やクレーム(claim)であって、クレーマーではありません。それを知っていただく為に、法や通達が有れば同時に記します。2014年4月20日記